書評

【嫌われる勇気】アドラー心理学に学ぶ生き方や人生へのヒント②

【嫌われる勇気】アドラー心理学に学ぶ生き方や人生へのヒント②
しーたす
しーたす
こんにちは!理学療法士のしーたす(@generalist_pt)です。

アドラー心理学から生き方や人生のヒントを学んでいきましょう!

ということで第2回目になります。

前回は、アドラー心理学について、人は変われるのか、目的論、ライフスタイルなどの考え方について整理しました。

【嫌われる勇気】アドラー心理学に学ぶ生き方や人生へのヒント①
【嫌われる勇気】アドラー心理学に学ぶ生き方や人生へのヒント①アドラー心理学を対話形式の物語で書かれた名著「嫌われる勇気」には学ぶべきところが多数あります。フロイト、ユングと並ぶ心理学三大巨頭のひとつであるアドラー心理学には、生き方や人生へのヒントとなるものが散りばめられています。「世界はシンプルであり、人は変われる、幸せになる勇気が足りていない」だけなのです。...

今回は、対人関係、劣等感、コンプレックス、権力争い、人生におけるタスクなどの項目について整理し学んでいきましょう!

こんな人にオススメの記事

・嫌われる勇気を読んでしばらく経って内容を忘れたので復習したい

・アドラー心理学について少し興味はあるけど本を読むのは面倒だな

・「嫌われる勇気」を買おうか迷っている

なぜ自分のことが嫌いなのか?短所について

自分のことが好きになれないという人は自分の短所が気に入らないのではないでしょうか。

人間誰でも長所と短所はあるからもっと長所に目を向ければいいと思いますよね。

では、なぜ人は自分の短所ばかりが目につくのでしょう?

哲学者
哲学者
「自分を好きにならないでおこう」と決心しているからです

つまり、自分を好きにならないという目的を達成するために、長所ではなく短所だけに注目しているということ。

何が嬉しくて「自分を好きにならないでおこうとしている」のかと思われるでしょう。

「自分を好きにならないでおくこと」があなたにとっての善(ためになる)だということです。

短所を自分で作ることで、何かを避ける言い訳ができる(これが目的)

この短所さえなければという、可能性の中に生きることができるのです。

なぜ自分を嫌いになる?

【理由】⇒他者から嫌われ対人関係の中で傷つくのを恐れているから

【目的】⇒他者との関係で傷つかないこと

【目的を達成するため】⇒自分の短所を見つけ、自分のことを嫌いになり、対人関係に踏み出さない人間になる

【結果】⇒自分の殻に閉じこもれば、誰にも関わらないでいいし、仮に他者から拒絶されたときの理由付けにもなる

これはまさしく僕に当てはまっていました。

高校生の頃、仲良くなった友達がいたのですが、自分なんてと短所ばかりに目が向いて、自分とは釣り合わないと壁を作って距離を置いたことがありました。

その当時は本当は仲良くなりたいのに、なぜ自分がそんなことをしてしまったのか理解できなかった。

この考え方を知って、当時の自分の心理がどうなっていたのかすごく理解できました。

僕には勇気が足りなかったのです。

そして傷つく前に理由をつけて逃げてしまった。

すべての悩みは対人関係の悩みである

対人関係の中で傷つかないなど、基本的にはありえません。

アドラーはいいます。

「悩みを消し去るには、宇宙の中にただ一人で生きるしかない」と。

孤独を感じるためには、他者を必要とします。

宇宙の中でただ一人しかいないと仮定すれば、理論上はおそらく孤独という概念すら存在しないということです。

対人関係を消し去ることはできず、人間は本質的に他者の存在を前提としています。

アドラーは、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」とまで言い切っています。

哲学者
哲学者
個人だけで完結する悩み、いわゆる内面の悩みなど存在しません。

哲人曰く、世の中のすべての悩みは対人関係に集約されるというのです。

誰かに好かれるため、誰かに認めてもらうため、誰かに必要としてもらうため、、、

人間は自分以外の誰かを必要としており、それゆえに悩みが生まれるのです。

劣等感と劣等コンプレックスについて

劣等感という言葉は日常的に使用する言葉だと思います。

アドラー心理学でいうところの劣等感は少し意味合いが違います。

劣等感とは、自分にはこの程度の価値しかないんだという自らへの価値判断に関わる言葉ではありますが、それ自体には劣等性は含まれません

例えば、身長に関してでいえば、155㎝だとしたら客観的な数字としては男性の中では平均より低いといえます。

ただ、それ自体が劣っているというわけではなく、その身長についてわたしがどのような意味づけをほどこすか、どのような価値を与えるかなのです。

モデルであれば身長が高いことは有利に働きますし、競馬の騎手であれば不利に働きます。

つまり、われわれを苦しめる劣等感は「客観的な事実」ではなく、「主観的な解釈」なのです。

「劣等感」は誰にでもあるものだし、それ自体は何も悪いものではありません。

われわれは、無力な状態から脱したい、もっと向上したいという普遍的な欲求を持っており、これをアドラーは「優越性の追求」と呼びました。

しかし、理想に到達していない自分に対して、まるで劣っているかのような感覚を抱く。

アドラーは、「劣等感も優越性の追求も病気ではなく、健康で正常な努力と成長への刺激である」と語っています。

つまり、使い方さえ間違わなければ、成長への促進剤になるというわけです。

一方で、自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを「劣等コンプレックス」といいます。

「わたしはAだから、Bできない」などの劣等感を言い訳にした状態です。

例えば、「わたしは太っているから、結婚できない」などです。

本来は何の因果関係もないところに、あたかも重大な因果関係があるかのように自らを説明し、納得させてしまう

これをアドラーは、「見かけの因果律」と呼びました。

自慢する人は劣等感を感じている

劣等コンプレックスのもつもう一つの側面があります。

「わたしはAだから、Bできない」といっている人は、逆にいえば「Aさえなければ、わたしは有能であり価値があるのだ」と言外に暗示していることになります。

アドラーは「劣等感を長く持ち続けることに我慢できる人はいない」と指摘しています。

つまり、劣等感がある状態(現状のわたしに何かが欠如している状態)を補償しようとします。

健全な状態は、努力と成長を通じて補償しようとする状態です。

しかし、その勇気を持ち得ていない人は「劣等コンプレックス」に陥ります。

前述の「AだからBできない」という状態です。

そして、劣等コンプレックスはさらに次の段階に発展することがあるといわれます。

あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸ります

これを「優越コンプレックス」といいます。

身近な例では「権威づけ」といわれるものがあります。

自分が有名人と知り合いであるとか、経歴詐称や過度なブランド信仰もこれに当たります。

「わたし」と「権威」を結び付けて、あたかもわたしが優れているかのように見せかけている状態で、いわゆる偽りの優越感です。

その根底には強烈な劣等感があるといえます。

アドラーは「もしも自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているからにすぎない」とはっきりと指摘しています。

もう一つ特異な優越感のひとつに「不幸自慢」があります。

不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において、人の上に立とうとします。

自らの不幸を武器に相手を支配しようとします。

アドラーは「わたしたちの文化においては、弱さは非常に強くて権力がある」と指摘しているほどです。

例えば、女性、子供、高齢者、障害者などが不幸や弱さを武器にしたとしたら、それ以上は言えなくなります。

自らの不幸や弱さを「特別」であるための「武器」としている限り、その人は永遠に不幸や弱さを必要とすることになります。

不幸であること、弱いことを目的として、不幸であり弱くあり続けようとするのです。

人生は他者との競争ではない

対人関係の軸に「競争」があると、人は対人関係の悩みから解放されず、不幸から逃れることはできません

競争があると、勝者と敗者がでてきます。

あなたにとっての他者はライバルではなく、敵だとみなすようになります。

対人関係を競争で考えると、他者の幸福を「わたしの負け」であるかのように捉え祝福できなくなります。

「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できれば、世界の見え方は全く違ったものになってきます。

健全な劣等感とは、他者との比較で生まれるものではなく、「理想の自分」との比較によって生まれるものなのです。

同じ平らな地平に、前をすすんでいる人もいれば、その後ろをすすんでいる人もいる。

誰とも競争することなく、ただ前を向いて歩けばいい。

いまの自分よりも前にすすもうとすることにこそ、価値があるのです。

「優越性の追求」とは、自らの足を一歩前に踏み出す意思であって、他者よりも上を目指さんとする競争の意思ではないのです。

権力争いから復讐へ

青年
青年
いくら先生だって、さしたる理由もなく罵倒されたら腹が立つでしょう?
哲学者
哲学者
立ちません。もしも面罵されたなら、その人の隠し持つ「目的」を考えるのです。相手が「権力争い」を挑んできているのだと考えてください。

例えば、子供が大人をいたずらなどでからかったりすることがあります。

多くの場合は、「自分に注目を集めること」を目的としたもので、大人が本気で怒る直前にひっこめられます。

しかし、もしもこちらが本気で怒るまでやめない場合、その目的は「闘うこと」そのものです。

闘って勝つことで自らの力を証明したいのです。

例えば、政治情勢について友人と語りあったりする場合に、議論が白熱しお互い一歩も譲らぬ言い争いになって、そのうち相手があなたを非難するような物言いになったとします。

この場合、相手の目的は純粋に政治を語りあいたいのではなく、あなたを非難し、挑発し、権力争いを通じて気に食わないあなたを屈服させたいのです。

ここであなたが相手の挑発に乗ってしまえば、相手の思惑通り、関係は権力争いに突入します。

権力争いでは勝ったとしても、そこでは終わりません。

負けた相手は次の段階(=復讐)に移ります

親から虐げられた子供が非行に走ったり、不登校になったり、リストカットを行ったりする場合もこれに当たります。

フロイト的な原因論では、親がこんな育て方をしたからこうなったという「原因論」でのシンプルな因果律で考えます。

しかし、アドラー心理学での「目的論」では、親を困らせるという「復讐」のために問題行動にでていると考えます。

対人関係が復讐の段階まで進んでしまうと、当事者間だけでの解決は難しくなります。

権力争いを挑まれたときは決して乗ってはならないということです。

非を認めることは負けじゃない

怒りっぽい人は、気が短いのではなく、怒り以外の有用なコミュニケーションツールを知らないだけです。

怒りという道具に頼る必要はなく、わたしたちは言葉によってコミュニケーションをとることができます。

あとは、いくら自分が正しいと思えた場合でも、それを理由に相手を非難しないこと。

人は、対人関係のなかで「わたしが正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れてしまっています。

多くの人は自分の主張が正しいと思った場合、権力争いに突入し他者を屈服させようとします。

あなたが正しいと思うのなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結すべき話です。

誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも負けではありません

前述のように権力争いに参加しても無益です。

人生のタスクについて

アドラー心理学では、人間の行動面と心理面のあり方について、かなりはっきりとした目標を以下のように掲げていています。

アドラー心理学の目標
【行動面の目標】

①自立すること

②社会と調和して暮らせること

【心理面の目標】

①わたしには能力がある、という認識

②人々はわたしの仲間である、という認識

そして、これらの目標は、アドラーのいう「人生のタスク(課題)」と向き合うことで達成できます。

アドラーは対人関係の距離と深さにより3つに分け、3つの絆とも表現することもありました。

1人の個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係を人生のタスクといいました。

距離と深さからもっともハードルが低いものとして「仕事のタスク(仕事の対人関係)」をあげました。

「仕事」という共通の目標があるので、少しぐらい気が合わなくても協力できる関係で、就業時間以外は他人の関係に戻れる関係です。

そしてこの「仕事のタスク」でつまづいてしまった人たちが、ニートやひきこもりというわけです。

つまり、彼らは仕事がしたくないのではなく、仕事にまつわる対人関係を避けたいがために、働こうとしないということです。

次の段階として、「交友のタスク(友人関係)」があります。

学校や職場のような「場」とは無関係に、個人的な友人関係に踏み出す交友関係のことです。

そして、最後にもっとも難しいのが「愛のタスク」になります。

友人関係では許せていた言動が、恋人になると途端に許せなくなることがあります。

しかし、アドラーは相手を束縛することを認めていません。

一緒にいてどこか息苦しさを感じたり、緊張を強いられるような関係は、恋ではあっても愛とは呼べません。

「この人と一緒にいると、とても自由に振る舞える」というようなときに愛を実感できます。

愛のタスクにはもう一つ親子関係があります。

恋愛関係は「別れる」という選択肢がありますが、親子関係では原則としてそれはできません。

人生のタスク

①仕事のタスク:仕事にまつわる対人関係

②交友のタスク:仕事を離れたもっと広い意味での友人関係

③愛のタスク:恋愛関係と家族との関係(特に親子関係)による2つの関係

人生の嘘について

Aさんを嫌いだとします。

フロイト的原因論では、Aさんの欠点が許せないから嫌っていると考えます。

しかし、アドラー心理学ではAさんとの対人関係を避けるために、その目的にかなった欠点をこしらえていると考えます

例えば、恋人や夫婦関係では、ある時期を境にして相手のやることなすことすべてに腹が立ったり気に入らなくなることがあります。

これはどこかの段階で「相手との関係を終わらせたい」という決心をして、関係を終わらせるための材料を探しているからそう感じるのです。

相手は何も変わっておらず、変わったのは自分の目的だけです。

人生のタスク(対人関係)を回避するために他者の欠点をでっちあげているのです。

アドラーは、さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとすることを「人生の嘘」と呼びました。

つまり、いま自分が置かれている状況やその責任を誰かに転嫁する。

他者のせいにしたり、環境のせいにしたりすることで、人生のタスクから逃げている。

劣等コンプレックスを克服できず、対人関係で傷つきたくないため、人生の嘘をつき人生のタスクから逃げている。

アドラー心理学は、「所有の心理学」ではなく、「使用の心理学」です。

つまり、「なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」ということです。

そして、アドラー心理学は「勇気の心理学」です。

目的論の立場に立って、勇気をもって、自らの人生、自らのライフスタイルを自分の手で選んでいくのです。

まとめ

要点

・対人関係で傷つくことを避けるという目的のため自分の短所に目が向く

・人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである

・劣等感も優越性の追求も健康で正常な努力と成長への刺激となる

・自らの劣等感をある種の言い訳に使い始めた状態のことを「劣等コンプレックス」

・自慢する人がいるとすれば、それは劣等感を感じているから(優越コンプレックス)

・「不幸自慢」は不幸であること、弱いことを目的として、不幸であり弱くあり続けようとする

・「競争」は他者を敵とみなし、対人関係の悩みから解放されない

・権力争いを挑まれたときは決して乗ってはならない

・権力争いで勝ち負けが生じると、次の「復讐」の段階へ進むことになる

・怒りという道具に頼る必要はなく、言葉によってコミュニケーションをとるべき

・人生のタスクは対人関係の距離と深さにより3つに分けられる

・人生のタスク達成のための行動面の目標と心理面の目標がある

・さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとすることを「人生の嘘」と呼ぶ

・アドラー心理学は、「所有の心理学」ではなく、「使用の心理学」

・アドラー心理学は、「勇気の心理学」

・目的論の立場に立って、勇気をもって、自らの人生、自らのライフスタイルを自分の手で選んでいく

それでは、また!

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